大東流教傳を封印したことにおいては色々と事情があるのですが、少しこの間の事由を述べて置きます。
@初心者には中々に教えられなかったと言う事。
●事由
教え始めた時に、かなり基本も出来る門弟もきましたが、初心者も多かったと言う問題かありました。受身も出来ない者に一から教えるのは大変である。それでも週に何回かの稽古量があれば教傳出来るが、それすらも出来ない場合も多く、基礎の出来ていない者に高度な業を教えられないと言う事情があったと言う事があります。
A一般の武道練習はマスプロ教傳である事。
●事由
現在日本の武道は武道の大衆化の為に一律的、マスプロ練習にしてしまったが、それでは高度な技法を教えて行く事が出来ず、よって当会としても門人を限る必要があったと言う事。
B大東流に関する認識の違い。
●事由
当会の到達し、真傳と置く大東流と一般に流布される大東流とは全く異質であた、入門者もそのギャップについて来れなかった者が多かった。
C真の大東流は理解が困難であった。
●事由
一般受けする為、普及化の為に古典武術が歪み、崩れて行ったのであるが、崩れるには崩れるだけの理由があると謂う事であり、本当の古典、真傳は中々に一般には理解しにくいと謂う問題がある。
D真の武術は理解に時間がかかる。
●事由
大東流に限らず全ての古典武術と見て判るというものではなく、またやっても判らない。やって、ある程度の理解が出来る様になるためにはそれなりの時間がかかると謂う事である。
E本質的な大東流が余りにも特殊な内容である事。
●事由
内容的に余り公開的に発表できなかったのである。長く大東流を探求して、最後の結論が驚天動地であり、余りにも世に与える影響が大きすぎ、よってその本質を論述事が出来ず、その研究論述を含めて封印したのである。
F大東流に入門してくる者が余りにも異常な者が多かった事。
●事由
これは事実であるから致し方ない。そして武術的な基本が全くない者が多く、よってある程度武術の基本の出来ている者のみに教傳を限ったのである。
G稽古量の低さ。
●事由
稽古日自体は当会としては週に何度かをとって稽古していたが、週に一度の稽古もやっとの者が多く、それが基本の出来ていない者であると全く基本も出来ないままに終わる事になり、全く無意味な教傳となる。
H武器術との違い。
●事由
古武道も週に一度と謂う様な稽古(それも出来ていない所も多い)が多く、武術としてはかなり難しいが、これが武器を用いる(剣術や居合)であるならば何とか形保存の意味合いが出来るが、柔術系の場合は週一稽古では体を造る事が出来ず、受け身の出来ずに形もとれない謂う事になる。故に現在では古武道も居合、剣術系は何とか稽古が続いている所があるが、柔術(勿論こもはブラジルアン柔術の事ではない)系は全く振るわない。
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